101号室<白メッサーくんの部屋>


『エピローグ編』 『公道復帰編』 『メンテ日記』



すっかりのめり込んでしまったメッサーシュミットKR200
この子に出会う迄にも…実はいろいろな出来事があったのです。

『ところで…メッサーシュミットってなぁに?』


第二次世界大戦中にドイツのメッサーシュミット航空機会社でエンジニアとして働いていたフリッツ・フェンド氏は、終戦後の1946年に自らの発想から一人乗り全天候型足漕ぎ式「3輪車」を開発しました。
1948年にはこの「3輪車」にフィヒテル&ザックス製のモペットバイク用2ストエンジンを搭載した『フェンド・フリッツアー』という「3輪自動車」を開発生産し、人々から好評を得ました。

1952年この三輪自動車の優秀性に目を付けたメッサーシュミット社は、フリッツ・フェンドからの協同事業の申し出に応じて彼をこのプロジェクトのチーフに任命し、この車の改良に取り掛かりました。1953年に発表されたザックス製2スト175ccユニットを搭載した2人乗りカビネン・ローラー(キャビン・スクーター)『メッサーシュミットKR175』は始めて商業的な成功を納める事が出来ました。安価で効率の良い超小型3輪自動車の『メッサーシュミット』は購買力の低い国民からも歓迎され、瞬く間に市場に浸透していきました。

その後出力不足などの問題から、1955年には車体や足廻りに大幅な改良が加えられ、エンジンもザックス製2スト191ccユニットに変更された『メッサーシュミットKR200』が誕生しました。この超小型3輪自動車の『KR200』は世界的なヒット作となり、1964年の生産終了までに約4万台が生産されたと言われています。
日本には東京の芙蓉貿易によって正規輸入され、そのうちKR200は約150台程が販売されたそうです。
(メッサーシュミットについては<メッサー物語り>を読んで下さいネ)


『シュミットVSメッサー』


2002年春、私はすでにメッサーシュミットKR200のレプリカ車である『シュミットKR』のオーナーでした…。

しかしその頃…40年前の危なげな3輪自動車の『メッサーシュミットKR200』に…そしてその危なげなクルマに夢中になっている人達に…なぜだか心が引かれていました。
(なにかが…違う。レプリカのシュミットKRはちょっとばかり運転が難しいけど乗り心地は良いし、ハイパワーだし、整備が簡単で故障も少ないし…とっても楽しい乗り物なんだけど…なにかが違う。なんなんだろう?)
実はその頃乗っていた大型バイクにも同じ様な思いを抱いていたのですが…それが何なのか、その頃の私にはまだわかりませんでした…。

2002年3月に神戸で開催された『日本ミニカー倶楽部 春のオフ会』に私は「青シュミットくん」で参加しました。2001年の冬にPULSEさんのHPの掲示板で知り合った瑞浪のヒロユキさんは私のラブコールに答えてくださり、このオフ会に愛車の真っ赤な「メッサーシュミットKR200」で岐阜県瑞浪市から参加して下さりました。
今迄に博物館とかで数台は本物のメッサーシュミットを見ていましたが、走行可能なメッサーシュミットを見たのはこれが生まれて始めてでした。なぜだかシュミットとは違うボデーの質感と艶、そしてなによりもその存在感

エンジンは数回のクランキングで目覚め、「ストトトト…」と心地よい独特の2ストエンジン音とともに、なんだか懐かしくさえ感じる甘い匂いがあたりに立ちこめる…。「カオルさん、運転してみますかっ?」っというヒロユキさんの嬉しいお誘いに応じて、赤メッサーのコックピットに躊躇なく滑り込む。(当然後部座席にはヒロユキさんも。)
シュミットと違って貧弱にさえ感じるちっちゃなドライバーシートに座ると…なんだかやけに室内が広く感じる。胸の前にはシュミットで見なれたバーハンドルを確認。足元を覗くと3本のフットペダルがあるのも確認する。さらに右手を右太ももの外側にやると、ちょうどそのあたりにチェンジレバーが触れるのを確認した。(シュミットはオートマなのでフットペダルはアクセルとブレーキの2本しかありません。当然チェンジレバーもありません。)

PULSEさんのHPで何度も読んだ「メッサー運転方法」を思い出しながら…、まずクラッチを切りチェンジレバーを手前に引いて数回ガチャガチャとやりローにまでギヤをおとす。アクセルを徐々に吹かしながらゆっくりとクラッチを繋いでゆくと…シュミットと違ってゆっくりと加速していく。早朝の広い駐車場を2人のおっちゃんを乗せてくるくると廻るちっちゃな赤いメッサー。
始めはゆっくりと…なれてきてからは幾度か失敗しながらもチェンジアップして加速していく。シュミットと比べて出足は少しわるいけれど(私が2ストエンジンの扱いに慣れていないという方が正しいかったかも…)速度が載ってくるとかえって軽快だし、ハンドリングはシュミットよりも遥かにジェントルでした。
この時の「メッサー初体験」は…すでに青シュミットくんを運転していた私にも、一生忘れられない出来事となりました。

『不思議な車会とは?』


2002年の夏頃に、PULSEさんの掲示板では「バブルカーや車輪の付いた不思議な乗り物の会を作ろう」という提案から『不思議な車会』という会が発足されました。『会』という以上はぜひどこかで『ミーテイング』をやりましようということになったのですが…具体的な案、開催場所や日程がなかなか決まりませんでした。(一番の理由は…会員が北は東北、南は九州という具合に全国津々浦々に散らばっており「普通自動車ならまだしもバブルカーなんかのちっぽけな車の自走での長距離移動はとてもじゃない。まして積車でなんてとんでもない。」という思いが多かったから?…と私は感じていたのですが。)

そんな折、『馬鹿3人組』のヒロユキさんやGAKUさんから「それならぜひ瑞浪でやりませんか?」というお誘いの書き込みが掲示板にありました。その後ミーテイングの計画はトントン拍子に話がすすみ、2002年10月12〜14日の連休に岐阜県瑞浪市で『第1回不思議な車会2002in瑞浪』が開催されることが決定されました。
「ところで私は…大阪から岐阜まで青シュミットくんを自走して本当に行けるのかしらん?」と気になった私は、9月15日に会場までの道のりとかの下見と称して単身、瑞浪に乗り込むことになりました。(但し自家用車でネ(^^;)
ヒロユキさんGAKUさん達の素晴らしいメッサーを見せて頂いたあとに、メッサー専用の作業場(本当は仕事場)も見学させて頂きました。作業場の床や机の上には、あるはあるはメッサーシュミットのエンジン部品などがゴロゴロと…。無造作に置かれていたピストンだけでも3〜4個、ミッションケースは2〜3組みもある。さっそく試しに足元に転がっていたミッションケースをたぐり寄せて夢中で組み合わせてみると…なぜだか右と左がピッタリと合わない。「あれ?」
すかさず横からヒロユキさんが「カオルさん、メッサーのエンジンにはシバ製とボッシュ製があってね…微妙に形が違うんですヨ。」「えっ?エンジンケースには同じSACHSっていう文字が刻まれているけど…2種類もあるんですか?」 あ〜知らなかった〜。やっぱり実物を見て触ってみないと解らないものです。
夢のような時間はあっというまに過ぎて行きました。そして帰り際にヒロユキさんが…気になる一言をポツリと囁やかれました…。

『カオルさ〜ん、メッサー飼いませんか〜?』


「え、えっ…(?_?)」始めはおっしゃってる意味がよく解りませんでした。でもお話をよくよく聞いてみると、どうも白いメッサーを譲りたいという方がおられるとの事でした。でもその時はまだ青シュミットくんでの始めての長距離移動のことで頭がいっぱいでした。
それに…青シュミットくんと比べればどんなに程度が良くってもメッサーなんてたかが40年前のバブルカー。ヒロユキさんやGAKUさん達が「それ、ここそこが壊れた。あれ、どこそこが壊れた。」といって騒いでいるような車両なんてとても私になんか維持出来ない。まして遠方でのミーティングとかへはどうやって移動するの? いちいち積載車やトレーラーで運ばないといけないなんて海外ならまだしも私にはとてもムリムリ。(…と自分の「良心」に言い聞かせながらも、すでに移動手段についていろいろと思いをめぐらしていました。)
その時は確か…「車庫がいっぱいで、もう一台メッサーなんてとても飼えませんヨ〜(^^;」と私はヒロユキさんには答えていました。(…と言いながらも、どうすれば車庫にもう一台入るのか、まるでパズルを組むようにしっかり考察していた私でした。)
しかし、これらの悩みも『不思議な車会2002in瑞浪』がきっかけで完全に消し飛んでしまうことになろうとは(^^;;;


『シュミットくん、メッサーくんに負ける…』


2002年10月12〜14日『不思議な車会 2002 in 瑞浪』は開催されました。しかしミーティングとは言っても…参加者は瑞浪の御3人さんと私達家族4人(私、妻、小学生の長女、長男)だけの慎ましいものでした。
13日は朝から旧中仙道ツーリングへメッサー3台とシュミット1台の計4台で出掛けました。ヒロユキさんの赤メッサー、私の青シュミット、タツロウさんの黄緑メッサー、GAKUさんの赤メッサーという順番でした。山間部を走る旧中仙道の山道は舗装されていて意外と走りやすく信号もほとんどないため、ハイペースで走れました。
ヒロユキさんの赤メッサーは山道をものともせずにガンガン飛ばします。気を緩めると私のシュミットはすぐに引き離されてしまう…上り坂で追い付いたかなと思った瞬間…下り坂でまたまた離されてしまう。ほとんど2台での追っかけっこでした。シュミットKRは最新の4スト240cc20psHONDA製エンジンで車両重量240kg、かたやメッサーは40年前の2スト191cc10psSACHS製汎用エンジンで車両重量230kg。外観はいっしょ、スペックからだと明らかにシュミットのほうが優位なのに…この差はなんなのでしょうか?「メッサーシュミットKR200って…いったいなんなんだろ〜???」というのが私の正直な感想でした。

三日間の瑞浪ミーティングでは家族ともども本当に愉しめました。そして気が付くと…私は完全に『メッサーシュミットKR200』の虜になっていました。
「遠方でのミーティング参加や故障時の移動はどうしたものか?」という疑問もジェットスキー用の軽トレーラーを改造することで無事に解決出来そうでした。なにより嬉しかったのは妻から「本物のメッサーって質感と存在感があって…シュミットより良いじゃないの。」というお言葉(お許しと判断)を頂いたことでした。

ヒロユキさんが教えて下さった白いメッサーくんの『捕獲計画』は、水面下でちゃくちゃくと進行していきました。


『白メッサーくんを捕獲する』

2003年1月12日、朝からヒロユキさんGAKUさんといっしょに瑞浪から神奈川県までメッサートレーラーを引っぱって、白色のメッサーシュミットKR200を引き取りに出掛けました。
白メッサーは神奈川県内のとある玩具店の店内に「看板娘」として飾られていました。玩具店主さんから白メッサーくんの「生い立ち」についていろいろ聞かせていただきました。

白くんは1963年に製造された車両でした。芙蓉貿易により当時国内へ正規輸入された後、1964年の生産終了後も芙蓉貿易の店頭に最後まで展示されていた車両(早い話が売れ残り(^^;)だったようです。
初代オーナーさんは通勤途中に毎日芙蓉貿易のショールームに飾られてあった白くんをお店の外から眺めていたんだそうです。当時評判だったトヨタ社製スポーツカーとメッサーのどちらを買うか悩んだ末、ついにメッサーの購入(1965年初年度登録)に踏み切ったのだそうです。初代オーナーさんはその後約30年間に渡って白くん(途中「赤くん」になっていた時期もあったことが最近判明しました(^^;)を大切に乗っておられたようです。しかし諸事情から1998年には2代目オーナーとなる玩具店主さんの手に渡りました。

白メッサーくんの車検は十分に残っていたようですが玩具店主さんはほとんど乗ることもなく、2000年には車検切れとなり以降は玩具店内にずっと飾られていたようです。

室内でずっと保存されていた為か足廻りや車体底には殆どサビがなく、塗装面は日焼けで退色しているものの比較的保たれており、外観は結構綺麗でした。しかし真後ろから何かぶつけたのかエンジンフードが歪んで両サイドが膨らみ、後端が後輪フェンダーと擦れていました。テールランプはウルトラマンの目のような変な黄色レンズ(のちにラビットの前ウインカーレンズと判明)に変わっていました。ナンバープレートは1代目オーナーからそのまま引き継がれたという足立のシングルナンバーがついていました。オドメーターはたった7000km程で、エンジンフードを開けてみるとエンジンや足廻りはとても綺麗な状態(レストアしたばかりの綺麗さというのではなく、丁寧に乗られていたという感じの綺麗さ)でした。

日も暮れた頃、お店の中で前後不覚で眠りこけていた白くんを連れ出してメッサートレーラーに載せました。それからひた走り、深夜には瑞浪へ無事到着しました。


『公道復帰にむけて…』

翌日は朝から、白メッサーくんの車検を復活させ公道に復帰させる為に、ヒロユキさんとGAKUさん達といっしょに整備をしました。

タンク内の腐ったガソリンを廃棄洗浄し、ガソリンコックを分解清掃。ギヤケースやチェーンケース内に残っていた旧いオイルは全て吸い出して新しいオイルと交換。キャブレターのオーバーホール。クラッチやブレーキの調整。変なテールランプと折れていたバックミラーをストックの物などと交換。バッテリーを交換。電装系の点検。セルの回転(前進、後進)を点検。プラグの交換。ポイントの清掃と調節。さらにエンジンマウントのトップ部分が壊れていたのでGAKUさんが瞬間接着剤で応急処置。(ウインカーリレーとウインカースイッチは車検前にオートショップBITOにて交換。)

6時間程で整備が終わり、イグニッションをひねると…幸いにも数回のクランキングでエンジンは目覚めました。GAKUさんによる絶妙なキャブセッティングとポイントセッティングでエンジン回転も落ち着き、ヒロユキさんがさっそく白くんを試運転。試運転から帰ってきたヒロユキさんに

『白くん復活!』
GAKUさん
「どや?」「まずまず?」
ヒロユキさん
「最初の出来としては上出来やな…。これからや…。

 (はい、確かにその後おっしゃられていた通りになりましたネ(^^;)

日が暮れる頃には整備は一応終わり、私も試乗。そのまま隣街にある自動車修理店までヒロユキさんGAKUさんのメッサーとで3台連なって出掛けました。『オートショップBITO』さんは、ヒロユキさん達のメッサー御用達のお店で、私の白くんもここで車検の取得をお願いしました。


続く
『白くんついに、公道復帰する』

<白メッサーくんの部屋>
『いざ出撃!』 『公道復帰編』 『白くんのメンテ日記』



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